久しぶりに真面目な話です。
たまたま読んでいた本に、興味深い文章があったので。
フランスのNGO、
国境なき記者団の創設者の人が本の中でこう言ってた。
2000年に起きた、パレスチナ群とイスラエル治安部隊の武力衝突が世界中のメディアで
大きく取り上げられていた時、旧ザイールで内戦が激化し、多数の人々が亡くなっていたことについて。
「数百万人の記者やカメラマンはエルサレムだけに集中し、当時旧ザイールへの派遣記者は
ひとりもいなかった。おかしいと思わないかい。
命の貴重さは、利権がらみで決まるということなのか。
欧米人や日本人の命が関わると、大ニュースになるが、
ミャンマーや中国の農夫が投獄されたとしても、報道すらない。
欧米や日本などの先進国では、
自分達の命だけが尊いと思っているのだろうか。」
その後、日本の報道の自由についてもこう言っていた。
日本にはテレビ局、ラジオ局、新聞社から約1万2000人のメンバーによって成り立つ
記者クラブがあり、
外国人記者、メンバー以外のフリージャーナリストは入会が許されない。
日本にあるプレスクラブとよばれる外国特派員協会は、約50年間に渡って、
記者クラブの会見に外国人記者が入れるように要請しているが、未だに反応は無い。
EUは日本のこの情報統制を再三批判し、日本政府が拒否をし続ける場合は、
WTOに持ち込む準備をしている。
このことについて彼は、
「日本の記者クラブを使った情報統制は、
日本人の外国に対する閉鎖的な体質を表しているね。」と。
2004年に小泉首相にあてて、記者クラブの開放を求める趣旨の電話を入れたが、
何の反応もなかったということ。
そうとおりだと思う。
情けないけど、他の国の人からはっきりと言われると、ショックを感じずにはいられない。
この間のムンバイのテロもそうだけど、
たまたま日本人の被害者が出たから、あんなに大きく報道されただけで、
日常的にテロが頻発してることはまるで話題にならない。
悲しいことに、それ以上に日本で報道しなくちゃいけない事件が多い、
ということでもあるのだろうけど。
私は日本人であることに誇りを持っているし、文化や歴史の面では日本が好きだけど、
ここ何年かは、社会に漂っている行き場をなくした不穏なエネルギーにうんざりさせられる。
アメリカでは2001年9月11日以来、
人道支援団体への就職希望者が以前の数十倍になっていて、
その応募者のほとんどが国際関係で修士号を持っている人たちだと聞いた。
今は、なんとなく勉強して、なんとなく就職して、なんとなく仕事して、
それで誰もが幸せに生きていける時代じゃないと思う。
自分の中に明確なものがないと、溢れる情報、常識、非常識、規律に秒殺されてしまう。
だからこそ、生活の中でのひとつひとつの選択を大事にしていきたい。
何を食べるか、身につけるかから始まって、
何をするか、どうなりたいか、誰のために何をしたいか、まで。
そんなことを考えました。
面白かったよ、この本。
色々と勉強になりましたー
「チェンジメーカー」 渡邊奈々著
それにしても私はまだまだ勉強が足りないということがよく分かりました。
知らないことが多すぎるー英語ももっとがんばるー!!
あーあたま良くなりたい~涙 左脳も右脳も両方とも・・・
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